以下の通り、ゆめみ代表としてDEIBについての宣言を行います。ただし、ゆめみの性質上、これらゆめみの統一的な見解というわけではなく、片岡俊行個人としての考えである事を明記しておきます。
DEIBはこうであらねばならないという画一的な思想は、歪みを産むと考えております、既にDEIB先進国では罠にハマっているように見えて仕方ありません。
ゆめみでは、公式な見解として、DEIBとはこうあらねばならないという思想の同質化は行いません。画一的な思想の同質化をしないという統一的な見解が同質的にまずはあるのです。
つまり、ゆめみのDEIBは、多様性を受容するところから出発せず、同質性を受容するところから出発します。
創業からの風土
ゆめみでは創業から多様な個性を尊重する文化がありました。
顧客からは「ゆめみさんは変な人が多いね」と良い意味でフィードバックをもらうことが多かったです。
「なんでだろう?別に変人採用はしていないのになぁ、カヤック社のように面白法人でもないし、むしろ真面目な人が多いというのが社内同士の印象なんだが」
そう考えた時に「ゆめみは自身の特徴的な個性を顧客にさらけ出せる」という風土があるのかなと私は思いました。少なくとも、個性は歓迎される風土が創業からあったと思います。
マイノリティの状況
また、ゆめみでは女性比率は約20%、日本以外の外国籍の社員は約10%と、決してマイノリティと呼ばれる属性の比率を、高くできているわけではないです。
しかしながら、社会的な女性役割を強く押し付けたりすることなく、育休後も就業継続して育児との両立が実現されています。人種や国籍の違いも個性として比較的歓迎されてきた文化があったと思います。勘違いかもしれませんが。
同質化の舞台裏に隠された「つらみ」
一方で、育児を行う女性社員が復職後も育休前と変わらずバリバリ成果を出していたり、母国語が日本語でない外国籍の社員でも、日本語で思慮深い発言をしたり、ハイコンテクストな文化の中でも違和感ない発言をしたりする裏には、それぞれの隠れた努力があります。
これは見方によってはマイノリティの人がマジョリティへ「同質化」するに留まっている状態とも言えます。
そして、マジョリティの人からすると、マイノリティがマジョリティに合わせた同質化をする「舞台裏の努力」には照明が当たっていない状況も多いため、マイノリティの隠されたつらみが発露されにくい状況が今でもあると思っています。
経営戦略としてのDEIB
グローバル化と社会の成熟化の中で、日本社会もDEIBが益々重要になります。ゆめみにおいても長期的にはグローバルでのビジネス展開に加えて、個性を活かした人材育成、様々な能力を機動的に組みわせて顧客に価値を提供していくかもしれません。
そのようなビジネス方針を考えると、DEIBは最も重要な経営方針の一つになりますし、グローバルでのDEIBの考え方も取り入れる必要があると思います。
性別、年齢、障がい、国籍などの外面の属性や、ライフスタイル、職歴、性志向、性自認、性表現、価値観などの内面の属性にかかわらず、それぞれの個を尊重し、認め合い、本人らしさが活きることは素晴らしいと思います。
一方で、経営の文脈でDEIBを捉え過ぎてしまい、数値目標を掲げて、結果として単純な数値合わせの活動を行うことは避けたいと考えています。ただし、個人的な想いに踊らされずに数値により客観的に理解する経営者の姿勢も大切にします。
管理職のあり方
女性管理職を何%にするという目標の裏には、昇進に必要な主要なキャリアパスが管理職になる事であったり、管理職は休まれては困る代替が(比較的)効かない役割だという考え方があるかもしれませんし、ないかもしれません。
実は、ゆめみはいわゆる管理職がいない組織です。正確には、管理業務を多くの社員が分担して「小学校のクラス運営のように」というコンセプトで自治運営がされています。
曲解すると、全員が管理職であり、女性にとっての管理職比率は100%とも言えますが、そもそもの管理職比率の数値目標に私は意義を見出さないです。
という強いとがった主張をしてしまう程度に、偏りがある考えを私は持っていることを自認しています。
グローバルカンパニーと日本における同質化戦略
例えば多様性が溢れるグローバルカンパニーにおいては、お互いが理解し得ない状況からくる紛争のような衝突を回避するためには、誰もが握れる共通した価値観が必要になります。
そこで、経営視点にはなりますが同質化戦略としては、既に存在する多様性を「包摂する」ということからスタートする事はとても理に適っていると思います。
一方で、日本においては多様性というよりは既に同質性が高い状態の組織が多く、同調圧力と呼ばれるような現象を様々な場面で観測しています。同調圧力自体はどこの国でも起こるもののようですが。
連続性の経営を大切にする私にとっては、既にある「同質性」に着目することから出発することが理に適っていると思っています。
いずれにしても、国によってD&Iのアプローチは異なること、そしていずれの国においてもD&Iは実は「同質化」戦略と捉える事ができると私は思っています。
つらみからの出発点
そこで、既にある同質性として着目したものが「つらみ」という全ての人に共通する感情・体験であり、多様なつらみを受容していく方で、D&I活動の私の出発点とします。
例えば、女性という性役割を演じる中での「つらみ」は、DEIBで注目されがちなメジャーなマイノリティとしての属性かもしれません。
しかしながら、例えば経営者という社会的役割を演じる中では、マイノリティな経営メンバーにも「つらみ」があるかもしれません。
このように、様々な役割とそこでの「つらみ」にも注目する事で、分断されがちな属性間にも共通軸を作ることができると思っています。
ここでの「つらみ」の意味は「言っても仕方がない、伝えても理解されないという悲観や諦めを持ちながら、困難な状況や辛い体験を誰にも相談できず、過去乗り切ってきた想い」として定義します。
その上で、ゆめみにおける様々な「つらみ」については、ナラティブアプローチを通じて語る「つらみ会」という同質的な場を作っていき、マイノリティの観点を出さねばという同調圧力を良い意味で活用しながら、DEIB担当が参与観察して課題の解決を行っていきます。
マイノリティの視点・観点
また、例えば「女性が活躍できる職場づくり」という目標、スローガンを掲げる会社があったとします。
ただし、無意識の偏見がある場合は「女性」への認識のゆがみから逃れられないため、職場づくりにおいて、適切な対策が取れない可能性があると思います。
一方で、無意識の偏見を認識していく活動はとても大切ですが、あまりにも難易度が高いものだと私は認識しています。無意識の偏見を認識することができると思うとすれば、それはメタ認知力がとても高い偏りがある認知からの視点ではないかと。。
もちろん、無意識の偏見という概念がある事の気づきは重要ですし、簡易的なテストで気づける事もあるので、重要な活動である事には変わらないと私は思います。
他方で「女性の多様な視点・観点から職場づくりを見直す」というように、属性というよりは、マイノリティ属性が持つ「多様な視点・観点」に着目するアプローチを取る事で、たとえ無意識の偏見があったとしても、課題解決につなげていけると私は考えています。
公平性について
メンバーに提供されるリソース、機会、評価などについてこれまでも公平性を意識した(つもりという勘違いで)私自身は制度設計を行ってきました。
勘違いの一つとして、徹底的な透明性(Radical Transparency) な方針のもとあらゆる情報が公平に共有されています。
全員CEO制度と呼ばれる制度により全てのメンバーが代表取締役権限を持つなど公平に権限も付与されています。
一方で、現在400人弱の組織から1000人の組織に拡大が予想される中で、多様なメンバーが増えると、個々のメンバーにとっての公平性の観点で「きめ細やかな運用」を行う必要が出てきました。
例えば、給与自己決定制度(公式ドキュメント🔰) は評価が特定の上司に依存しないと言う意味では公平性がより高くなった制度だと考えています。
しかし、人によっては給与額を自ら提示することは大きな精神的負担になる場合もあります。
また、例えば円安によって海外と日本に住むメンバーの必要な年収水準も異なります。
このように制度を用意するだけでなく、個別のメンバーの属性だけでなく必要性や感受性に応じたきめ細やかな運用を私は行っていきます。
埋め込まれる居心地の良さ
私は従業員エンゲージメントだけでなく、エンべデッド(埋め込まれた)な状態も重要視しています。
会社に社員が従属する関係性から、いずれかの未来には、会社はメンバーが所属する組織の一つでしかない緩やかな関係性に変わっていくと思います。
そこにおいては、ミッション、ビジョン、パーパスなどに強く共感する意味でのエンゲージメントだけでなく、別な形の関係性が所属のあり方として必要になると思っています。
そこで私が注目しているのが、メンバーの特徴的な強みや志向性が「いびつ」であったとしても、組織がその「いびつさ」に合わせて変形することによって、メンバーが組織に埋め込まれる所属のあり方です。
実際にゆめみでは、役職主導から役割主導型組織に移行した中で、個人の強みや志向性にあった職務設計が以前と比較すると可能になりました。
他には、組織の人数も増える中で、テックリードの役割も6系統に細分化されるなど、「いびつさ」が組織に埋め込まれやすくなっています。その結果として、職務が画一的な組織にはない居心地の良さが実現できると思っています。
5歳児の振る舞いという同質性
組織社会化戦術と呼ばれるアプローチが成功 することにより、メンバーが組織において社会的動物として適切な振る舞いを行うことができます。これは大切だと思います。
一方で、本来の自分らしさを振る舞う事ができるようにする難しさを長年感じていました。
難しさの根源は、社会におけるあらゆる組織において社会化戦術が良い意味で巧みに行われており、実は小学校からそれがスタートしているためです。
ある時、昔からの友人がまるで子供のような振る舞いをした時に、5歳児以下の子供には評判が良かったのですが、5歳を超えると不評という事態に遭遇しました。不思議ですよね。
そこで獲得した仮説は、小学校入学を意識するタイミングで社会化準備は予期的に始まっている、5歳児の時の自分の振る舞いが根源なのだという考えでした。
であるとするならば、脱社会化戦術としては、5歳児の自分の振る舞いをベンチマークとした上で、そこに立ち戻れるようにすることなのです。
おふざけ、おねだり、いたずら、まねっこ、なんでなんで等の振る舞いを代表例としながらも、多様な5歳児らしい振る舞いができる同質性溢れた景色を見てみたいです。
その為には、逆説的ではありますが、社会化戦術を極端に突き詰める同質性の先に、脱社会化があると考えています。
ニューロダイバーシティの重要性
脳の多様性は、人間が長い進化の過程で得た自然な変異の結果だと考えています。そこに優劣や良し悪し、普通と障害という区別はなく必要な進化の結果だと思っています。
様々な刺激に機敏に対応できる「多動力」、一つの事を徹底して探求する「超集中力」、わずかな歪みを鋭敏に察知できる「敏感力」、相手に間違いなく注意を向けさせる事ができる「直球力」など、脳の多様性を活かした配置やチーム連携を大切にしていきたいです。
その結果として、もしかすると社会に不適合と言われて生きにくさを感じてきた人であっても、実は、社会がその人に適合できなかっただけであるという事実が明らかになると考えています。まずは、一人一人が自分の脳の素晴らしい多様性を認識するところから始めていきます。
株式会社ゆめみ
代表取締役 片岡 俊行(れいっち)