シンプルな定義
- できると信じて「やる!」と宣言しよう!
- みんなフォローするから!
- 念のためだけど、約束は守ろうね!
- そして、やるからには、ベストを尽くそう!
- やってる最中、Bad Newsがあれば、助けるから、すぐに共有してね!そうじゃないと、周りが被害被るから!
- 時には、仲間同士ぶつかることはあるけど、まずは率直に話し合おう
- 結果が出たら、振り返り会をやるべし!
- そしたら、誰も君のことは非難できないし、非難されたくないよね
詳細定義
自責とは、結果を出すために約束を守り、最善を尽くす遂行責任(Responsibility)を果たすと宣言すること=コミットである
ゆめみでは、Bad News Fastを除いて、結果責任を負うことはない(例えば、評価が下がる・給料が下がる・賞与が下がる・次回から挑戦ができなくなる・ロールを取り上げられる事はない)
結果が出たタイミングで、振り返りを行い、良い点、悪い点に対して、何が要因だったのかを分析して、改善につなげる事が重要である。
ここでは、成果責任(accountability)を
①期待された成果を他が被害を被らない形で示す責任(成果責任)
②結果に対しての説明を行う責任(説明責任)
③期待された成果を出せなかった場合に、ペナルティを負う責任(結果責任)
として分類する。
この場合、③のペナルティを求められる事があるとすれば、経営者である。
経営者は株主から結果を出すことが期待され、経営を任せる信任を得ているからである。
その場合のペナルティとしては、株主に何か賠償をするものではなく、一般的には、多額の役員報酬がある場合に、業績連動による減額や、次からは信任を得られないという結末を受け入れるだけである。
経営者は、結果が出たタイミングで、結果が良かろうが、悪かろうが、②のように、結果に至った要因を説明する必要がある。
なぜならば、株主は実際の経営の現場を常に把握しているわけではないので、遂行責任を普段から確認ができていない。したがって、説明がないと、続けて信任をすることができる判断材料が見えないからである。
その為、結果が出たタイミングで、遂行責任を果たした結果、良い結果に至ったのか、あるいは、遂行責任を果たしたが、悪い結果になったのかなどを説明する必要がある。
結果として、①に定める期待された成果に達していなかったとしても、説明責任を果たす中で、引き続き信任されることもある。
参考:http://mtlab.ecn.fpu.ac.jp/responsibility.html
https://www.kaonavi.jp/dictionary/accountability/
その上で、我々、メンバーは以下も含めて、自責=コミットを行うことができる
Bad News Fast
- 悪い情報については(顧客も含めて)関係者に対して可能な限り早く共有できる(悪い情報とは、情報、自身が悪いと感じる事実、事態である)
- 悪い情報を共有しないまま、自分が何とか頑張ろうと職務を続けることは、重大な隠蔽行為であり、故意により周りに被害を与える損害行為として認識することができる。
- そして、会社が定める唯一の結果責任として、規定で定める通り、賞与の厳罰を真摯に受け入れることができる
- 他メンバーが悪い情報を早く共有をした場合は、(将来の悪影響を最小化できる機会が得られたとして、仲間を守る行動として)感謝をすることができる
- 勤怠連絡については、会社が行動管理・監視・統制をするという意図は一切なく、チームのメンバーが自分を心配してくれているのだという前提の元、心配をさせないためにも、また、日頃から密な連絡を訓練として行う意図を理解して、率直に理由も含めて共有することができる
Total Responsibility
- メンバーのミスやヒューマンエラーは非難せず、(その結果を「とばっちり」ではなく、デフォルトでそういう問題の対応がリクエストされた、と再定義して)それを受け入れることができ、自分としての最善を尽くすことができる
- 結果責任は、誰か一人が負うというものでもなく、メンバー全員が負うというのものでもない。会社を構成する一人一人が、結果によって明らかになった事実・現実・真実を受け入れて、最善を尽くすとことで、会社を1個人として見た場合のトータル・リスポンシビリティは果たされており、その結果として、個人に結果責任が求められる事はないことを理解できる(以下、更に詳細説明)
結果責任をメンバーに対して、経営者がどのような形で求めるかは経営者の考え方次第である。
ゆめみの場合は、過去の経験から得られた学習の結果として、以下を信じている。
それは、結果責任として、結果を出すことを求めすぎると、結果として、結果が伴わないという原因と結果の法則が起きる場合がある。
逆に言えば、最良の結果を得るには、経営者が結果責任を求められるからといって、結果責任をメンバーに対して求めすぎないことである。
ただし、これには前提条件があり、遂行責任さえ負えば、結果として、最良な結果が得られるような、役割分担やバリューチェーン、ビジネスモデルが一定構築されている前提である。
一般的に、ビジネスではなくて、私生活で、個人が故意によって他人に損害を与えた場合は、法律で定めるように、賠償を行うといった法的責任(liability)が求められる場合がある。
したがって、その類推から、ビジネスにおいて、会社を構成するメンバーに対しても、結果責任を求めることが当たり前のように考える人がいるかもしれない。
しかしながら、それは誤りである。
会社を構成するメンバーに、個人として結果責任を求めるのではなく、会社というものを法人という一人の人格として見た場合に、会社という人格が自分で行った行為によって、会社という人格が自分で損害を被っているという意味で、それは結果責任が果たされているのである。
あるいは、顧客に損害を与えて、損害賠償を会社が支払うことになった場合も、会社という人格が、顧客という個人に与えた責任を、会社という人格が賠償を払うことで、責任を果たしたということである。つまり、結果責任が果たされているのである。
その観点では、会社が損害を被ったり、賠償を行う時点で、結果責任は果たされている。極端に言えば、会社が倒産するということも、死をもって償い、結果責任を果たしていると言える。
したがって、究極的には、会社という人格が果たす結果責任は自動的に果たされるため、結果責任が会社を構成する個人が負うことはなく、個人は何も意識する必要はないと考えることができる。
ゆめみでは、そう考えることが結果として、経済合理性が高いと捉えている。
会社の役割を遂行する中で、個人がペナルティとしての重大な結果責任を問われるような事がある。
その場合も、十分なリスクプレミアムを乗せた給与、あるいは業績連動での報酬を定めた雇用契約でないと納得がいかないし、本人は不安で仕方ない。
不安な状態では最善の判断ができない可能性がある。
また、法的責任(liability)を守らず個人が、会社に損害を与えるケースは例外として捉えて、会社の原則というものは、例外ではない標準を想定したものを規定する。
逆に、例外に対応する形で、法というルールが法的責任を問う仕組みがあるという分担になっている。
以上を踏まえて、会社を1個人としてトータル(Total)として捉えて、成果責任(accountability)の中の、結果責任は何も意識する必要なく、ただ単に会社という1個人としても、遂行責任(responsibility)を意識すれば良いという、トータル・レスポンシビリティ(Total Responsibility)が重要になる。
我々は、結果として(as a result)、最良な成果(better result)を得るために、トータル・リスポンシビリティの考えを理解することができる。
これは、成果を出さなくて良いという意味ではない。
途中経過としては、成果を出すための最善を尽くすが、結果が出たタイミングで、過去を振り返って、ペナルティを求める事はしないという意味である。
例えるならば、オリンピックの大事な試合において、結果を出すには、結果を出すことを意識しすぎてしまうと、緊張で能力が最大限発揮できないパターンがある。
最大限の能力を発揮するには、結果を気にすることなく、一つ一つの演技や競技を楽しむ気持ちで、自分なりのベストを尽くすだけである。
コンフリクト解消(Conflict resolution)
チームでの活動において発生する、意見の相違や衝突に対して発生する問題に対して、当事者同士が直接の対話を率直に行うこと。
他人を巻き込んで相手を操ろうとする政治工作を行わず、当事者間で解決を図ることができる。
ただし、仲裁役を選定することはできる。自分の怒りなどの感情については、自分しか解消できない。